船水兄弟物語。
皆さん、こんにちは。トレーナーの市山です。
先日、川上トレーナーが、青森に行ってきました。10年以上通わせていただく青森県は、船水兄弟の出身地です。この度は、世界選手権の祝勝会も開催され、船水兄弟の成長記録も公開されました。
ご両親は、二人をどのように見守ってこられたのでしょうか。
(父)
(母)
高校でテニス部コーチをしていることから、試合・遠征と休みがない中で、家族一緒に過ごせるのはテニスコートでした。必然的にテニスコートが彼らの遊び場となっていました。硬式のジュニア用ラケットを持ち、マネージャーとともに球拾いから始まり、年齢に合わせて女子との練習後、男子の練習へとステップアップしていきました。その当時の生徒たちには2人を育ててくれたと感謝しています。
【2人の小学生時代の家での様子(印象に残っていること)】
(母)
(雄太)
運動が好きで、水泳・サッカー・野球をやっていました。小学校三年生の時に右腕を骨折。ラケットを左手に持ち替えて壁打ちし、電気のスイッチを狙い点けることができたと喜んでいました。努力家なのは、小さな頃から変わっていません。
(颯人)
雄太と同じで運動が好き。手先が器用で、サッカーや野球、ピアノも習っていました。小学校の修学旅行と、北海道・東北ブロックアンダー選考会と日程が重なり、颯人は選考会に行くと決めました。
校長先生にお願いに伺ったところ、大変驚かれましたが、テニスへの思いを理解していただきました。その当時から日本代表への思いはぶれていません。
【高校時代の変化】
(父)
2人に会えるのは試合の時だけ。試合会場では「おっ!」と挨拶するくらいで、ほとんど会話はありません。しかし、戦う姿を遠目に見て、2人とも本気で強くなりたいと思っているなと強く感じていました。
(母)
2人とも小さい頃から自分のことは自分で決断してきました。遊びと練習?野球とテニス?など、何をするにも自分で決めます。もちろん、進路も自分で決めました。頼もしく成長している姿を応援してきました。そして雄太が高校三年生、運命的な地元青森でのインターハイ。宮城県の代表選手であっても、皆さんが応援してくれることに感謝の気持ちで勝ち取った優勝。そして、その瞬間を嬉しさ半分、悔しさ半分で見つめていた颯人。帰りの車の中、「俺も絶対あの場に立って勝つ」と言って一年後その舞台で優勝しました。
常に兄が先を歩いているからこそ、それが「道標」となり弟も頑張れる。兄弟ということで、周りからはいつも比較される。赤と青、情熱と冷静、努力家の兄と天才肌の弟。私たち親は、それぞれ別々のプレーヤーとして応援しており、比べることはありません。お互いに自分にないものを認めたとき、最高のライバルであり、そして一番の理解者になると思います。
【青森チャレンジ講習会との関わり、変化】
(父・母)
彼らのソフトテニス観を一変させる「刺激」と「道標」を与えていただきました。川上先生、そして篠原選手との出会いなくして今の2人はありません。感謝に堪えません。2人ともこのチャレンジをきっかけに、世界一になりたい一心で、ぶれることなくまっすぐに進んできたのではないかと思っています。そして今度は、自分たちが与えてもらった夢と希望を、子供たちへと繋いでいけるように日々精進してほしいと思っています。
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